仮想通貨への疑念と焦燥
仮想通貨ネタが続きます。
これから『仮想通貨』なるものが、いま以上に世に出回るようになります。
仮想通貨にたいする接しかたと考えをあるていど整理しておきたいのです。
その方法として、文章にする。
アウトプットするというのは有効だとおもいます。
さて、わたしはどうにも、仮想通貨に対してあまりポジティブな印象をもっていません。
その原因はなにか?
仮想通貨にあまり価値を感じないからです。
1BTC=200万円なんてタチの悪い冗談だろう。
しょうじきなところ、そう思っています。
しかし、仮想通貨は価値を持ち、儲けているひとはたくさんいる。
嫉妬。
そして、仮想通貨なんかにたいした価値はないという既成概念がないまぜになって、不快という感情につながります。
われながら、これはよろしくない。
というわけで、感情と情報をいったん整理しようと思ってこれを書いています。
かつてドルは、ゴールドとの交換機能をもっていました。
ゴールドとの兌換機能を背景にして、その価値をあきらかにしていたわけですね。
その兌換機能は、現在では失われています。
ドルでゴールドは買えますが、兌換機能はありません。
兌換機能が停止されたのが1971年。
それほど昔ではありませんね。
その後、ドルはその価値を落とします。
ゴールドへの兌換機能がなくなったよだから、とうぜんですね。
円に対しては、1ドル=360円の固定相場でしたが、兌換機能停止以降変動相場制に移行。
いまでは1ドル=110円台で推移しています。
しかし、ドルは世界の基軸通貨であり続けました。
なぜか?
これはアメリカという国への信用に他なりません。
つまり、現在その通貨の価値を担保するのは、その通貨を発行する中央銀行を擁する国への信頼なのです。
円でいえば日本
ユーロならユーロ経済圏。
ポンドならイギリス。
では、仮想通貨でその価値を承認し、保証しているのはだれか?
これは、取引している人々です。
その通貨を取引している人々の信用なくして仮想通貨はなりたちません。
そして、冒頭の結論が導き出されます。
わたしは、仮想通貨を信用できません。
仮想通貨に価値を感じないとは、そういうことです。
一国の中央銀行と背景はバラバラのただの人々。
どちらを信用するかと言われれば、わたしは中央銀行を信用しています。
仮想通貨をおもしろいと捉えるひとの気持ちもわかります。
中央集権からの脱却ともいえますし、信用が価値をうむということでもあります。
テクノロジーの進歩があってこそ発明されたものでもあります。
テクノロジーの発達には、やっぱりワクワクしますからね。
イケダハヤト氏はこんなツイートしてます。
賢い人たちは徐々にポートフォリオから日本円を減らしていくのだろう。価値が上がらないのは明白。最終的に納税くらいしか使い道なくなりそう。JPYは草コインになっていく。。
— イケダハヤト@仮想通貨 (@IHayato) 2017年12月8日
あいかわらず、みごとな煽りスキルです。
ぐぬぬ……。
たしかに今後、日本円の価値がおおきくあがることはないでしょう。
量的緩和によって、円の価値をみずからすすんで毀損させてるくらいですから。
イケダ氏の言う通り、これまでの既成概念なんてふりはらって、仮想通貨を買い増ししていくのがいいのかもしれません。
しかし!
わたしは、仮想通貨を信用しきれません。
まだ危険かもしれないと思っています。
けれども、これからの資本主義や社会を変革させるだけのポテンシャルがあるとも思います。
けっきょくのところ、しばらくはおっかなびっくり付き合っていくしかなさそうです。
損してもいいと思えるぐらいの金額を、投資してみようと思います。
しかし、Zaifからの本人確認書類がまだ届かない……。
申し込み殺到してるんでしょうねー。